カンボジア プノンペン トゥールスレン虐殺博物館

前回の記事からの続きです。


そして、ここの棟は独房として使われていました。

 

有刺鉄線で覆われた入口。

収容者が逃げられないように張り巡らされたものです。

写真の右側にも写っていますが、ところどころにステッカーが貼られており、

ここで笑ってはいけないというような注意を促しています。

これは、見学者へ向けて貼られたものです。

もちろん、こんな場所で自然に笑えるはずもなく、ただただ無口になるばかりだけれど、

当時、ポル・ポトの打ち出した命令にも、

 

笑ってはいけない。笑うことは、過去の生活を懐かしく思うからだ。

泣いてはいけない。泣くことは、今の生活を否定しているからだ。

 

そんな言葉があったそうです。

 

まるで人の感情を奪うような言葉。

 

私は、ステッカーを見ながら、そのことを思い出していました。

ここに貼られたステッカーがリンクしているわけではないだろうけど。

 

中へ入ってすぐの壁に、番号が書かれていました。


このフロア内にレンガを積んで造られた独居房の番号を表しているものと思われます。

 

中は、こんな風に細かく仕切られていました。

ここに収容者は足を鎖でつながれ、閉じ込められたそうです。

 

この狭い独房に。

ただでさえ、暑すぎるほどのカンボジアで、こんな狭い場所に閉じ込められ、自由な身動きすら奪われ、

本当に苦しかっただろうな。

 

中には、拷問に使ったのであろう、スコップも残されていました。


虐殺された人達の恐怖や絶望を想うと、胸が苦しくなります。

私が初めてこの場所を知った時に一番ショックを受けた、

被害者の顔写真と見つめあった時は、本当に本当に悲しくなりました。

今も、人々の悲しみはこの場所に佇んでいます。

 

校舎から見る景色は、とても澄んでいて、中庭にはプルメリアが見上げていました。

 

あの頃も、この綺麗なプルメリアを収容された人達は見たのだろうか。

きっと、最後に見たのかもしれない。あの白い花を。

人間の愚か過ぎる行為を、何もできずにただ見ていたこの木も辛かっただろうな。

だからきっと今も精いっぱい咲いているのでしょう。犠牲者を弔うように。

そしてまた、別の棟では、当時の資料が展示されています。

 

そう。

国内にいた外国人も犠牲になっていたのです。

ポルポトの政治を脅かす恐れのある者は、徹底して殺害したのです。

きっと祖国を思いながら、その目を閉じた人達の想いを想像すると、また苦しいくらいの感情に襲われます。

 

そして、

沖縄とトゥールスレン博物館は、平和博物館として共同で展示もしているのです。

 

沖縄の子供達の願い。

 

そして。

カンボジアの子供達の願い。

いつだって、大人達が勝手に始めた争いの被害者は子供達で、

痛みを請けるのは、被害者の方で。

 

ジェノサイドに正義は何もない。

それなのに、なんでまだ今も世界のどこかでは繰り返されているんだろう。

 

これだけの大きな大きな虐殺が行われた場所に光なんてないです。

たとえ、空が澄み渡っていても。

周りの景色が、ゆっくりと変わって行っても。

いつまで経っても、ここは悲しみの場所。

だけど、その場所を見せてくれたことに、真実を教えてくれたことに感謝です。

 

出口の棟では、被害者の遺骨とともに慰霊者の祭壇がありました。

 

日本人が捧げたのでしょう。


千羽鶴もありました。

 

 

そして。


あの有名なカンボジアの地図。

この写真は、悪趣味だと世界から大バッシングを受けたそうだけど、

でも私には、

 

見ろ。これがカンボジアだ。


メコン川もトンレサップ湖も本当は血で染まっているのだ。


これが、かつてクメール・ルージュが引き起こした負の遺産だ。

 

まるで、そう言われているようでした。

強過ぎるメッセージに思えました。

 

出口へ向かっていくと、なんとチュン・メイさんがいたのです!

この方は、収容者20,000人と言われたこの収容所で、

たった8人だけが生き残った、その中の生存者のひとり。

今もこうして、あの忌まわしい出来事を語り紡いでいる人です。

 

まさか、本物にお会いできるとは!!

やっぱり、ここに来ることは運命だったのだと思いました。

 

だけど。。。

 

最初にも書いたけれど、知りたくない見たくない人だっている。

そんな気持ちもあって当然。

私は、やっぱりここへひとりで来るべきだったと後悔しました。

ここには膨大な資料があるので、とても短時間で見るような場所ではありません。

半日かけてもいいくらいだと思っています。

ビデオも一日ニ回上映されています。

ひとりで来ていたら、チュン・メイさんにもお話を伺いたかった。

今回は、あんなに行きたいと思っていたキリング・フィールドにも行けません。

 

ただ、いつかまた来たいと思う。

そして、来るんだと思う。

 

ポル・ポトが死んだのは1998年。

つい最近です。

 

まだまだ、カンボジアの大虐殺についての知識は私は浅く、新しいことも出てくるのでしょう。

だから勉強してまた来たいと思いました。

 




トゥールスレン虐殺博物館 Tuol Sleng Genocide Museum

HP:http://www.tuolslenggenocidemuseum.com/

入場料:5ドル *2017年より値上がりしています。

プノンペンの中心部からは、徒歩30分~くらいです。

プノンペンはとっても暑いので水分必須!

メコン川を背にして南方へ。

トゥクトゥクも多数います。

私が行った時は、友人の運転でレンタルバイクで行きました。

レンタルバイクは24時間6ドル。

プノンペンのポリスは、外国人のバイクには凄い厳しいんでくれぐれも注意です!

 

 

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一人旅が大好き。特に長距離バスを乗り継いでの移動が多く、現地の人との交流がとても好きです。 読んでくれた方が、旅気分になってもらえるようなサイト作りを心がけています。

View Comments

  • 初めまして

    ちょくちょく覗かせて頂いてました。

    ベトナム戦争は…(T_T)援軍のアメリカ兵が帰国してから…(T_T)ノイローゼになり、自殺者が増えましたね…(T_T)

    虐殺!
    日本にも各国にもあり、人間は『選民意識』を持つと狂うのかな?なんて哀しく思います。

    朝鮮戦争しかり!
    シリアの内戦しかり…(T_T)
    第二次世界対戦しかり…(T_T)

    前に学徒兵の手記をここに載せた事があります。
    読む度に…(T_T)哀しさで涙が溢れました。

    病で『死』を体験してから、哀しいのの質が変わりましたが。
    わたしの臨死体験が本物なら『死』は苦しいものでは、無かったんです。

    生きる!と言うことは…(T_T)
    学びあり、残酷さあり、嬉しさあり…ですね。

    また、お邪魔しますね。
    ありがとう!

  • その国の人ではないのに

    ここまで一生懸命に見ようとする姿勢を
    私達はどのように受け止めるべきでしょうか
    頭の下がる思いです。見たい人見たくない人
    いろいろでしょう。ブログは選べます。見たくない
    人は見ないという事が選べます。
    だからあなたのブログを見ている人は
    自分の意思で見ています。
    あなたの思うことを素直に書いてください。
    私はそれを読みたいと思います。

  • はじめまして。。。。

    女性で旅行するには勇気がいる国に行ってるなと見させてもらってました。

    「キリングフィールド」と描き方が違う「プラトーン」思い出しました。

    自分では行ったことも無い国これからも見させてください。。。

    健康に気をつけて・・・・・・

  • サヨさん、

    読み入ってしまいました。

    サヨさんの言葉で伝えられたレポート。
    すごく心に響きました。

    サヨさんの目で見た心で感じた旅のレポート。
    これからも楽しみにしています。

  • 貴重なお写真を見せていただき、
    記事を読ませていただき、感謝します。

    サヨさんのおもいがたくさん詰まった文章。
    そして、さらにその行間からも伝わってくるものがありました。

    言葉が出ません…。

    サヨさんのブログにたどりついて、
    最後まで読んだ方の心は震えたと思います。
    サヨさんのおもいを感じ取ったと思います。

    改めて、ありがとうございました(*^^*)

  • カンボジア

    もし、ポル・ポトがいなければ、カンボジアは日本もビックリするような高度な先進国になっていたのかもしれません。それを「農本主義」「原始共産主義」を強引に導入しようと、次々とカンボジアの先進頭脳を殺していった。同じ民族を虐殺するという、ヒトラーもむごかったけど、ポル・ポトはもっとむごいことをした。「人非人」の言葉が当てはまる畜生です。
    以前日本の国政選挙にも立候補者を出した諸派の政党にポル・ポトが虐殺をしたのは嘘っぱちだ、と唱えたところがありましたが、本当に現実を見てそう言っているのか、疑問に思いました。もしこの政党が議席をとったのなら、日本にもクーデターが起きたかもしれません。
    今はポル・ポトも亡くなり、その側近も散り散りになり、カンボジアもポル・ポトが現れる前の国勢を取り戻そうと一生懸命になっていますが、再びこの悲劇が起きてはならない、と願うばかりです。

  • こんばんは。

    前回が衝撃過ぎて
    この記事を読むの、迷いました。

    けど、サヨさんが書いている記事。

    しっかりと読もうと思いました。

    相変わらず、私はうまく言葉がでませんが・・・
    ありがとうございます。

    ありがとうございます。