4時起床。
宿をそーっと出ました。
今日は、ずっと、ほんっとうにずーーーーっと、
行きたいと思っていた、
アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)へと行く日なのです。
あの有名な、ユダヤ人虐殺のホロコーストを語るのに欠かせない、
強制労働所のあった場所です。
ちなみにポーランドでは、オシフィエンチムと言うのが正式名。
アウシュヴィッツと言うのは、ドイツ軍がつけた名前なのです。
現地の歳を重ねた人は、オシフィエンチムではなくアウシュヴィッツと聞くと、嫌な気分になる人もいるそうです。
世界中の負の世界遺産を見るんだと決めた、まだ幼かった頃から、
絶対にいつか行きたい!!と夢見ていた場所。
思いもよらず、こうしてヨーロッパ旅ラストに行くことになりました。
楽しみは後にとっておく??
いやいや。
旅先では、行きたい場所には、真っ先に行きます。
行ける時に行かないと、タイミングが悪くなって行けなくなったりもするのです。
でも、なぜこんなに行きたかった場所に最後に行くことになったのか。
理由は、ヨーロッパ旅出発、一週間前にさかのぼります。
出発に向けて、ウキウキしてガイドブックを読んでいた私は、
アウシュヴィッツに関しての知識は、結構あると自負していたことと、
また、現地に行って色々感じたいという気持ちから、
それらのページは読んでいませんでした。
唯一の日本人ガイドの中谷さんについても、現地についてから、タイミングが合えば、
ガイドをお願いしようと思っていました。
が、
なんとなく一応、ってな気持ちで読んでみると、
なんと、この季節はガイドなしでは、入れないと書いてあるじゃないですか!!
ま、、、マジですか??
いやいやいや。
このガイドブック、結構情報間違ってるし、そんなわけないじゃん。。
そんな話、聞いたことなかったし。
なんて思いながら、検索すること数件。
これ本当だよ。(( ;°Д°)
私の知ってる情報の方が古いよ。。
いや、正しくは、早朝と夕方の短時間だけ、
ガイドなしでも入れるらしいんだけど、
こんな行きたかった場所を、駆け足状態で見るなんて嫌だ!!
ってことで、急遽、中谷さんに連絡をしてみました。
この期間、ヨーロッパに行くのですが、
ガイドをしていただける日はありますか?と。
正直、ポーランドにずっといるわけでもなかったので、
かなり賭け状態でした。
でも、なんとラッキーなことに、
ガイドをしてもらえることになったのです。
これで心置きなく、ヨーロッパを周れる。
しかも、帰国直前にアウシュヴィッツに行けて帰れるなんて、
かなりいいヨーロッパ旅を締めくくれる気がする。
そうと決まれば、あの中谷さんにガイドをしてもらえるなんて、
楽しみでしかない。
ということがあり、この日をクライマックスにする目標で、
今回ヨーロッパ旅をしていたのです。
オシフィエンチムまでは、バスで1時間半かからないくらい。
張り切って、朝一のバスで行きます。
ちなみに行く方法は、2つ。鉄道かバス。
でも、鉄道だと到着駅から、
ミュージアムまではちょっと離れているとのことだったので、
バスで行きたい。
ほんっと、お世話になってます。
クラクフバスステーションに到着しました。
待合所のすぐそばにある時刻表によると、
オシフィエンチムまでのバスの始発は、8:15になっているのですが、
中谷さんが案内してくれた情報には、6:30発があるとのこと。
しばし、バスステーション内をうろうろ。
バスチケットは、当日でOKと言われたので、もし買えなかったら、、、と不安でしたが、
乗り込んで、すぐにドライバーから買えました。
片道14ズロティー。
余談ですが、私には海外のバスに関して、苦い思い出があって、
バスに乗る時、いまだにドキドキしてしまうのです。
NZで暮らしてた頃、ある日普通にバスに乗ろうとしたら、
なぜか「お前はだめだ。降りろ」とドライバーから言われたのです。
他の待合客はみんな乗ったし、そもそも私もいつも乗っているのに、
意味がわかりませんでした。
でも、その頃の私はまだ留学したばかりで、
英語が全く話せませんでした。
どうして?と泣きそうな気持を抱えて、降りるしかありませんでした。
1時間待って、次のバスが来て普通に乗れたんだけど。
語学学校に着いて、カウンセラーにそれを話すと、
「アジア人差別があるの」と言われました。
それ以来、海外の、特に白人ドライバーのバスに乗るときは、
またそれをやられるんじゃないかと、変なトラウマがあるのです。
でも、今だったら言い合いの喧嘩くらいするけど。
わくわくしてはいけない場所だけど、
やっぱり行きたい場所に行けることは、
顔がにやけてしまいます。
それくらい行きたかった、世界の自分の行きたい場所リストのNo1
抜群に晴れていて、晴れ女(自称)っぷり発揮!
またちょっと、違う車窓の景色。
朝早いこともあってか、道はだいぶ空いていて、
途中いくつかのバスターミナルに停まり、地元の人を降ろしながら、
7:50、オシフィエンチムミュージアム前に到着しました。
特になにもない田舎町です。
こういう、ホロコーストの行われた場所って、
ほんとに人の関心をひかないような場所に
でも、ここがそうだよっていうように、
生存者。収容者であったことの印が刻まれています。
有名なアンネ・フランクも、ここで強制労働をさせられていました。
ここは、世界的に有名であることを表している、
かつて、日本も含め、世界が見ぬふりをしていた
この場所。
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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View Comments
お久しぶりです
ヨーロッパの記事を久しぶりに拝読できて、うれしいです。
負の遺産の町は、どのような様子なのかなと興味があります。
広島や長崎のように、それを乗り越え復興しているのでしょうか。
世界中から人が訪れているのでしょうか。
いろいろ情報をお願いします。
良かったです!
駐在妻で初めて来たアメリカは、大きなユダヤ人コミュニティーがあるデトロイト近郊で、近くにはホロコースト博物館があります。
そこで昨年、サバイバーのポーランドから来た女性のお話を聞きました。
アジア人は私1人でしたが、FBやブログに載せると「聞けることを知らなかった。是非聞いてみたい。」という方が現われました。
お話もよかったですが、シェアすることの意義を感じました。
サヨさんの記事でまた、関心を持ったり、行ってみたいという方が増えると思います!
受け継ぐ者達たちへ…
先日、フランスの監督の映画『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』を観ました。一人の教師のアウシュビッツに関する“ある授業”が、落ちこぼれたちの人生を変える---という内容なのですが、とても良かったです。よかったら、サヨさんもぜひ観てくださいね。
学ぶこと、知ること、体験すること、感じること、そして、受け継ぐこと…大事ですよね。
20年以上昔を
懐かしい旅の思い出、思い出しました。
当時はアウシュビッツ特にガイド無くても制限時間無く。丁度閑散期だったのか秋の終わりの人がいない管内、ちょっと雰囲気ありすぎました。
これからもブログ楽しみにしております。