24時間炎の消えないバラナシの火葬場で

バラナシで見た火葬のお話です。

写真は、火葬に使われる牧がたくさん置かれている場所です。

たくさん薪が置かれている場所に到着し、

ここがバラナシの小さいほうの火葬場と呼ばれる、ハリスチャンドラ・ガートであることを確信した私は、

迷わず火葬が行われているガートの方へと進みました。

 

ちなみに、バラナシには大きい火葬場と小さい火葬場があって、

写真などでよく使われている、ザ・バラバシって感じの場所は、

大きい火葬場のマニカルニカー・ガートと呼ばれる方です。





どっちを見るにせよ、写真撮影は禁止されているのですが、

大きい方のマニカルニカー・ガートの方に関しては、

旅友達からとにかく悪い奴らばかりだから注意するようにと忠告をたくさんもらっていたので、

まずは、こちらの小さい火葬場の方から見学させてもらうことにしました。

 

到着するなり目に飛び込んできたのは、ガンジス川に浸された遺体と、

既に薪が組まれて乗せられて、火葬されている遺体です。

 

目の前に本物の遺体があるんだけれど、どう言ったらいいのか、

すごく映画を見ているかのような感覚で、

いわゆる”おぞましい”とか”怖い”とか、そういう気持ちにはなりませんでした。

 

と言うのも、近くで見ているインド人も外国人もまあまあいて、

まるで憩いの場所かのように、英語が話せるインド人も、英語が話せないインド人も、

和やかにコミュニケーションをとってくるのです。

 

ある英語ができないインド人は、笑顔で「カルマ、カルマ」と言って、

火葬の煙をいっぱい浴びるようにジェスチャーで促してくるし、 

恒例のお土産売りのインド人は、それはそれは勝手にあれこれ説明してくれました。

 

白い布で包まれているのは男性で、オレンジ色は女性。それは来る前に学習していたので知っていました。

でも、他にも詳しく説明してくれたので、かなり勉強になりました。

 

大きい方の火葬場は、ヒンドゥー教の人のみで、こちらは誰でもいいとのことです。 

一日、60体くらいの遺体が焼かれ、時間は約3時間。 

でも、子供や、病気で亡くなった人は、火葬はできない。なので、そのまま川へ流すとのこと。

 

このバラナシは、生と死の町だし、底知れないパワーを感じていたのも、

道などで、呪文のような掛け声をあげながら、

運ばれていく遺体としょっちゅうすれ違ったからというのもある気がします。

 

掛け声は「ナムナム」と唱えているように聴こえたけれど、

それは決まって数人の男の人達によって運ばれているのです。

例えると、まるで日本で神輿を担ぐように、活気に溢れた掛け声で。

 

その全てに、醸しだされているものは、決して死だけのオーラではなくて、むしろ生きた結果、生きた証、のような、 

人生を全うしておめでとうとでも言うような、凄いパワーが纏わり囲んでいるようにすら見えるのです。 

それはやっぱり、これだけのインド人が、このガンガーでの輪廻転生を信じているからかもしれません。

 

ぼーっと、そんなことを考えている間にも、また新しい遺体が掛け声と共に運ばれて来て、 

川へと浸されます。 

そして、あっという間に薪の台が組まれると、川からその台の上へと遺体は移動され、 

家族がその周りをぐるぐると回り、やがて出されていた顔が布によって隠されると、僧侶によって火がつけられるのです。

 

私はここに来たら、どんな感情になるのだろうと思っていたのですが、 

この、日本じゃ考えられない光景が、あまりにもインドでは日常の普通の光景になっていて、

周りにいるインド人や外国人同様、冷静に見られる自分が不思議でもありました。

 

それにここには、数匹の犬に牛、にわとり、やたらと懐いてくるヤギまで居て、 

本当に日本での当たり前の概念とか、都会だとか、それらすべてとあまりにかけ離れている世界過ぎて、とてもとても貴重な経験にすら感じるのです。

 

改めて、インドには、呼ばれないと来られない国と言うけれど、 

それを誰が言いだしたのかは知らないけれど、素敵な言葉だなとすら思いました。

まさか、火葬を眺めながら、そんなことを感じるとは思いもしませんでした。

 

火葬が終わった灰は、改めて僧侶によって川へと流されていました。

そしてまた、ベッドのような立派な木の入れ物だったり、

竹で組み立てられた、簡単な担架のようなものだったりに乗せられて、新しい遺体が運ばれていました。

 

きっとこの違いは、棺桶の違いのようなものなのだろうけど、

インド特有の階級なんだろうなと考えていたら、 

なおも、近くに居たインド人が説明してくれたのは、 

遺体に触れるのは、カーストの一番下の者が行うとのことでした。

 

死んだ魂は、生まれ変わる為の神聖なものだけれど、亡くなった体に対しては、

悪しき物と考えられているからだそうです。

そこに触れるのは、一番カーストが低い者が行うのだと。そして火を扱うのは僧侶。

 

カーストがやっぱり当然のように存続し、あるんだなってことも改めて感じました。

そして、身体の考え方にも違いがあるんだなと。

確かに扱いは結構雑で、炎に包まれたあとは棒でつついて、もはや人体を扱っているようには思えませんでした。

 

そしてここには、インド人は家族であっても男性しか入れないそうです。

死は悲しい事と考えていないのに、女性がいては悲観的なものになってしまうからとのこと。 

そういえば、サティーっていう風習を聞いたことがあったなと思い出しました。

やっぱりインドって何もかも考え方が独特だと思います。

でも、私はやっぱりインド人ではないから、ちゃんと悲しんで、悲しまれたいと思ってしまうけど。

 

そして改めて、インド人にとっては、このガンジス川自体がお墓なのですね。

墓を持たないインド人にとって、どれだけこの川を想っているのかがよくわかりました。

それを知ったらなおのこと、沐浴なんてできないけれど。

 

そんな話を色々教えてくれたお土産屋さんのインド人は、ちょうど来た欧米人カップルが買い物をしたいと言うので、bye~と去っていきました。

ってことで、お土産も特に買わず、インドの火葬についての話だけ聴かせてもらえて、

結構ラッキーでした。

かなり見入っていて、灰だらけになったけど、本当に貴重な時間でした。

 

これをゴロー丸始め、人に話すと、よくそんなの見てられるね、

で、よくそんな灰を浴びられるねと心から変人扱いされるのですが、

この時のことを思い出して浮かぶのは、

「カルマ、カルマ」と、

まるでマイナスイオンかのように、たくさん浴びなさいと笑顔で教えてくれた、おじさんの笑顔と、

真剣に解説をしてくれたお土産屋さんのわかりやすい英語と、

途中、なぜか近くにいた犬が穴を掘りだし、その土が私にとんできて、

その犬を怒ったインド人を怒らないで!って止めたことと、すっごい懐いてきたヤギ。

 

なんかこう、決して負の物を見るような重い空気の場所ではなかったなと。

それはやっぱりバラナシの持つ、死だけの町ではなく、たくさんのインド人のガンガーへの信仰心が造り上げる生のパワーの集まる場所。

だったかなぁーって感じです。

 

とは言え、この後、こことは違う方のマニカルニカー・ガートの方で、

インド人に対して、強い強い感情を抱いてしまうこととなったのですが、

そのエピソードは、引き続きインド旅の方で。

 

 インド・ネパール旅 更新中 

 

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