ベトナム戦争は、ベトナム南北の国内だけにとどまらず様々な国に担がれ、また翻弄された戦争だったと思うけど、今やベトナム一番となるくらいの経済都市となったホーチミンに、あの戦争の足跡や記録を残す博物館があるのです。
そこには、戦車や実際に使われていた武器などはもちろん、世界的にも有名な写真が何枚も展示されています。
入場料を払い入るとすぐに、とても大きな戦闘機が姿を現します。
もちろんこれらは、実際に使われていたもの。
窓から銃が突き出ている姿は、戦争の恐怖を伝えるには充分過ぎるくらいリアルです。
そして、この庭には、流刑地でもあったコンダオ島で処刑された思想犯や革命家についてや、当時の刑務所の様子、実際に処刑に使われていたものなどが展示されているスペースがあります。
ギロチン台。
当時、収容されていた人々の姿を写した写真。
反政府の活動家達が、どんな風に拷問され罰せられたかなどを詳しく写真で説明しています。
本当に記録しているにふさわしいくらいの残された残虐な写真が並びます。
そして収容所の中を再現したスペース。
ハノイのホアロー収容所もそうだったけど、ここも無機質で冷たい感じがひしひしと伝わってきて、佇んで何かを考える時間すら怖くて、逃げ出したくなるような雰囲気です。
そして、博物館の中はとても広く、階数も一階だけではありません。
それくらいみっちりとベトナム戦争の痕跡を伝えています。
実際に使用されていた武器が並びます。
釘爆弾。
戦争はもちろん、起こしている国が問題ではあるんだけど、こんな非人道的な武器を、この国に与えたのはどこの国なんだって、
それを思うと余計に腹ただしいです。戦前にいる人間よりももっと。
たくさんの銃も。そして、実際に撃たれる瞬間の写真までもあります。
信じたくないくらい残酷な行為が普通に行われていました。
そしてこの戦争もまた、たくさんの一般市民が犠牲となっています。
ベトナム戦争の写真を見る時、とても怯えた人々の写真が多い事に気づくはずです。
それは、この戦争自体が、ベトナムだけの戦争ではなくて、ソ連とアメリカの代理戦争でもあったからであることをよく示していると思う。
そしてそれは、ベトナム戦争の残した負の大遺産でもあるベトナムの枯葉剤の問題へと繋がっているのです。
これは、アメリカ軍及び、南ベトナム軍が使用していた防毒マスク。
これにより、ベトナムはこの後、発ガンする人々や奇形児が生まれるなどの多大な被害を被りました。
ただでさえ、食物の一切を失せる為と言うむごい作戦は、結局、戦争に関係のない人々、無力な子供達、そしてベトナム人の未来にまで影響を及ぼす形となったのです。
日本でも、ベトちゃん、ドクちゃんと下半身が繋がったまま生まれた双子が良く知られています。
もちろん、彼らを始めとした被害を受けた子供達の写真も多数展示されています。
ベトナム戦争に関しては、色んな国で反戦運動が行われていましたが、日本でも活発に行われていました。
その資料も展示されています。
そしてこれも良く知られた有名な写真です。
銃口を向ける兵士に花を差し出す女性。
これは、ワシントンDCでの反戦運動で撮られた一枚です。
こんな風に、ベトナム戦争は世界中の人々の関心が高く、第二次世界大戦で傷付いた世界で、戦争は起こしていけないと言う普通の心を持った人達の批判となっていたのです。
それくらいベトナム戦争は、1975年と言うまだまだ”昔”とは呼べない年代に起きていたのです。
これらの写真は、世界中のジャーナリストが撮ったものです。
その中には、日本人ジャーナリストの撮った写真もあります。
これは、日本人ならベトナム戦争を学ぶ時に結構目にした人も多いはず、
沢田教一さんが撮影した「安全への逃避」という題名の一枚。
戦火を逃れ、メコン川を渡る一家を写した一枚です。
この写真はいくつもの賞をとりましたが、これもまた考えさせられるのは、こんな一般市民の背負わされた苦しさと共に、たくさんの世界中の報道カメラマンが写真を撮ることができる戦争であったということです。
もちろん、現地で撮影する人達は、命がけであったと思うけれど、こんな風に世界中のジャーナリストが写真を報道できる戦争、つまり報道の自由と名付けられた、ひけらかし戦争。
その事実も、代理戦争という看板を背負ったベトナム、それを動かしていた両大国の悪意があったのだと思わずにはいられません。
現在じゃ、自己責任だとか他罰的な言葉ばかりが飛び交っているけれど、
この人達が伝えてくれなかったら、目で見ることなどできない。
こんな悲惨過ぎる日常を、息をつける一瞬すら許されない時間を、罪のない人々が過ごさざるを得ないんだってこと。
世界のどこかに、そんな時間が流れていて、この平和な国と同じように過ごせるはずの人々が逃げ惑うしかない国があるんだってことを。
そんなジャーナリスト達の名前もきちんと記されていました。
私が、海外の戦争や紛争に興味を抱くきっかけとなった、
”地雷を踏んだらサヨウナラ”の本の一ノ瀬泰造さんの名前もありました。
ベトナムを北から南へと旅したけれど、どの町でも元気な女性達がいて、一生懸命働いてた。かつて、北と南に分かれて戦争をしていたなんて思えないくらい。
北にも南にも、どの町にも、ベトナムのいいところはたくさん詰まっていたよ。
ベトナムの負の遺産などの場所を見る時、いつもベトナムは”被害者”だけでは終わらない感じがしたんだけど、ここもまたそんな博物館だと思います。
それはもちろん、翻弄されながらも、南北に分かれて戦った自国内の戦争と言うこともあるだろうけど、起こしている人間は被害者ではないから。
まぎれもなく被害者は一般市民であって、戦争をしている人達に加害者も被害者もないから。
戦争の悲惨さを伝えるためには、被害者や酷い目に遭ったことだけではなく、自分たちのしたことのむごさや愚かさも、充分に見せる必要があるんだと思います。
目を覆いたくなるような写真が溢れているけれど、それは目を覆いたくなるような酷すぎる事実があったからなのです。
終戦までに1000万人近くもの死者や行方不明者を出した、この大き過ぎるベトナム戦争の犠牲をしっかり見つめて、自分は他国の戦争の傍観者にならないでいたいなと思います。
入場時間:AM7:30~12:00 PM13:30~17:00
入場料:40,000ベトナムドン(200円くらい)
HP:http://warremnantsmuseum.com/
その他の負の世界遺産はこちらから。→負の世界遺産
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