チェコのクトナー・ホラ、セドリツという町に、4万人の人骨で造られた教会があります。
内部へ入ると、いきなり人骨で造られたシャンデリアが目に飛び込んできます。
しかし、ここは、負の世界遺産とは込められている意味が違います。
その昔、隣の国、スロバキアと1つの国だった時代よりももっと前に、この国はボヘミア王国と呼ばれていました。
ポーランドの南部と、現在のチェコの中部よりも西側、ドイツの一部、そしてオーストリアにもまたがる巨大な王国でした。
1098年にフランスのシトーに、カトリックのシトー修道会が創設されました。
そして、1142年にこの辺りにも最初の修道院が建てられます。人々に耕作を学ばせ、豊かにするためです。
その後、鉱山の発見と共に発展したクトナー・ホラは、都市へと育ち、鉱山で発掘された銀で硬貨が造られ、やがて王国を超えて、注目される都市へと成長しました。
しかし、1318年になると、ヨーロッパの全人口の3分の1ほどにもなる人々が亡くなった伝染病でもあるペストが、ここにも蔓延しました。
それによって、3万人にもおよぶ人々がこの場所に埋葬されました。
それは、ボヘミア王国の王、オタカル二世によって、かつてセドリツの修道院長でもあるインドジッフを、イエス・キリストが十字架に架けられた聖地(エルサレム)へと派遣していたからです。
インドジッフは、ゴルゴダの丘で、土をひとつかみ持ち帰って、ここに撒いたと言われています。
そのことから、この土地は、神聖な場所であるとヨーロッパ中に拡がって、このセドリツで眠りたいと望む人々が増えたのです。
そして、ペストも落ち着いた15世紀に入ると、プラハの旧市街広場にもあるヤン・フス像のフス氏がチェコに広めた改革によって生まれた、フス派によるたくさんの宗教戦争の死者も、この場所に埋葬されました。
時は、流れ、1511年、半盲の僧侶によって骨が掘り起こされます。
そして、礼拝堂が建てられました。
その礼拝堂はやがて、1703年、イタリア人建築家、ジョヴァンニ・サンティーニによって、7年かけて納骨堂が改築されます。
そして、1870年には、チェコ人の木彫師フランチーシェック・リントによって、人骨を用いた装飾が造られたのです。
彼の名前もまた、人骨によって書かれています。
これは、骨で造られた聖餐杯。
ひとつひとつの装飾にちゃんと意味があるそうです。
この上部にかかるシャンデリアは、人骨のすべてを用いて造られているそうで、彼の一番の作品なのだとか。
そして、ここの領主だったシュヴァルツェンベルグ家の紋章。
リント氏に人骨を使った装飾を依頼したのも、シュヴァルツェンベルグ家と言われています。
造られた理由は、”死について考え、死を忘れないように”。
ホールの真ん中にある祭壇に使われている骨は、戦争による死者と言われているそうです。
芸術と言われると、人骨を芸術としてしまうことは、凡人にはよくわからないけど。かと言って、気味の悪い場所でもおぞましくもない、いわば詰められた歴史がある大きなお墓という感覚でした。
疫病を超え、人々の起こした戦争を超え、今も残されているこんな教会が、チェコの田舎に今も佇んでいます。
そんな歴史を知ると、まるでこの敷地だけが、時を超えて来ているようなそんな感覚にもなるのです。
実際に行った時の旅日記は・・・こちら
プラハから電車で行きました。
プラハからは、バスも出てるとか聞いたけど、バスターミナルで聞いてみると、クトナー・ホラへ行くバスはないよ、と言われたので、謎。
クトナー・ホラは、クトナー・ホラ○○と付いている駅がたくさんあるので、注意です。
墓地教会があるのは、クトナー・ホラ本駅。ここです。
町の名前はセドリツ。
町はとても静かで、歩いている人がほとんどいませんでした。
教会へは駅から徒歩7~8分くらい。(私の短い足で)
まずは、聖母マリア教会を目指すとわかりやすいです。
入場料は、聖母マリア教会と旧市街(クトナー・ホラ ムニュスト)の聖バルバラ教会、そしてここ墓地教会の3つに入れるチケットがお得でおすすめ。
*3つに入れて185コルナ
セドリツの2教会(聖マリア教会と墓地教会)だけのチケットもあり。
HP:http://www.ossuary.eu/index.php/cz/kostnice
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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