まだ、強制収容所に関する話が続きますが、
あとちょっとお付き合いください。
続いてブジェジュンカ村に造られていた、
ビルケナウ強制収容所に到着しました。
ユダヤ人のホロコーストの話では、
名前においてはアウシュビッツの方が有名でも、
きっとこっちの景色の方が、
映画などでも、とても良く登場する、まさに悲しみの終着駅です。
ここには、ヨーロッパの各地からユダヤ人が列車に詰め込まれ、
運ばれてきました。
300以上の建物がかつては造られており、
多い時では、9万人が収容されていたそうです。
そして、ここの収容者のほとんどは、
ハンガリーから運ばれた人がとても多かったそうです。
ブダペストの恐怖の館 でも、見た通り、
私が好きになったあのハンガリーの街からも、
線路が延びていたのです。
この車両の中に、座れないほどにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、
何日もかけて運ばれました。
もちろん、飲み物も食べ物も与えられず、真夏でも真冬でも。
到着したころには、すでに亡くなっている人もたくさんいたそうです。
そして、やっと降りることが許されると、
線路の終わりには、ダビデの星をかたどった、
ここは、凄く広くて、そして静かで、
一見のどかに思えるくらいの場所です。
だけど、ここでもかつてたくさんの血と涙が流されていた場所なのです。
アウシュビッツのと同じように、
監視塔と電流が流されていた脱走者防止の鉄線が張り巡らされています。
ここにも、たくさんのガス室があり、人が殺戮されたのです。
でも、時代と共に、建物は朽ちてきて、
中谷さんがガイドを始めてからも、だいぶ崩れたり、
立ち入り禁止になってしまった場所も多いのだそうです。
ゲットーがたくさん並んでいたとみられる場所。
そして、ナチス・ドイツ軍が撤退をする時に、
ここは、かなり大きなガス室が建てられていたと言われています。
ここで、中谷さんに質問をしました。
遺体は、焼かれて野原などへ捨てられたそうですが、
ここではどこへ捨てられたのですかと。
そしたら、中谷さんが教えてくれた場所は。。。
目と鼻の先にあった、小さな池。
ここに、灰にされて撒かれたそうです。
ユダヤ人の間では、死者を火葬にしては、
成仏も復活もできないと言われています。
だけど、亡くなった人に想いを馳せることすらできなかった当時、
悲しみはその何倍にも膨らんでいたのだろうと。
悲しみを悲しむこともできない絶望。まさに、人権なんてない。
そして、ガイドは、いくつか残されているバラックの中へ。
そして、収容所の見学は、
収容者達が、どんな暮らしをしていたかという話へと、
続きます。
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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ぐっと胸が締め付けられます。
現場だと、より一層感じられることでしょうね。