聖ポール天主堂跡に到着しました。
この繊細な模様や像が立ち並ぶファサードは、1つ1つにたくさんの意味が込められているそうです。
マカオは、アジア内における欧米植民地最後の国でした。
ここもまた、戦争や歴史に翻弄されてきたマカオを語るには、欠かせない場所なのだそうです。
16世紀初め、マカオにポルトガル人が初めて上陸し、マカオはアジア各国への布教活動の中心拠点となりました。
ここもそののちに建てられた教会でした。
そもそもは聖母教会として建設され、そして火事で焼け焦げ再建されたのち、再び火災が起こり、最終的にはかろうじてこの壁のみ生き残ったという場所です。
ポルトガルが追放され、様々な国が主導権を握る中で、教会だけではなく様々な活用もされ使用されてきたようですが、そのうちにこの豪華で派手なファサードだけがずっと使い道もないまま、取り残されてきたのです。
このファサードの下はくぐれるようになっており、裏側、その先へも誰でも行けるようになっています。
これは、ポール天主堂の裏側。
こういう観光場所ってたいてい、高い場所に登れるようになっていますよね。
ご覧の通り、ここもしかりなのですが、記憶の限り登ってみたことは今までない。
ここに到着するまでにすでに66段の階段か、その横の坂道かというどちらかのコースになります。
あっついマカオでこの入り口に到着するまでにすでに結構体力消耗しているのです。
こんな時いつも、バスツアーとかだったら登ってみたかもなぁーなんて考えてます。 ダメパッカー。。。
ですが!
それよりも、ここには私の興味をぐんぐん引っ張って離さない場所があるのですよ。
ここ。
地下納骨堂。
アメブロから読んでくれている方にはすでによく知れた私の悪趣味ぶりですが、マカオでも通常運転ぶり。
地下へと降りてみましょう!!
入ってすぐに、かつての聖ポール天主堂の一部を使ったと見られるオブジェの十字架が立てられた丘があります。
そして、すぐ傍らには、ここを建設するのに関わった宣教師の骨が祀られています。
この中には、日本人キリシタンのお骨もあるようです。
当時日本は、幕府によりキリスト教禁止令が布かれた真っ只中でした。
かつて、同じように日本語を話し、日本の景色を脳裏に浮かべる日本人が、ここに眠っているなんてなんだか不思議な感覚です。
その人もきっと同じように、今に悩み、でも明日に期待してこの場所に流れ着いたんだなぁと、なんだかしんみり想いを馳せてしまいます。
現在は、幸せに穏やかに、この場所に眠っているのですね。
さらに奥へ進むと、16世紀頃の教会に飾られていた美術品がたくさん展示されています。
手のひらに骸骨を乗せかざすザビエル像が、少し悲しげにも見えます。
なぜか世界の教会を巡る時、そこには憂いの感情が多く展示されているような気もします。
そして骨や風化した姿など、それは教会にはつきものだと、そう感じるのです。
ここでは、故郷へ帰ることができなかったかつての日本人の悲しみも一緒に訴えているようにも見えます。
これらの展示品はもちろん再建されたものが多いだろうけど、火事の中を生き残った美術品もあるようです。
これは、教会の欠片。
そしてここは墓穴だったようです。
貴重な、聖ポール天主堂跡の時代の移り変わりの写真も展示されています。
今じゃ正面写真を撮れば、凄過ぎる観光客が必ず写りこみますが、昔の写真を見ると置き去りにされていた場所ということがよくわかります。
さて。
マカオの歴史に軽く触れられたところで、次のマカオの顔へ!
この地下納骨堂に付随する博物館は、とても小さく展示品もわずかですが無料で入ることが出来ます。営業時間に気をつけて。
営業時間:9時~18時 火曜は14時まで
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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