旅日記 マカオ

マカオでも人骨を巡る旅

投稿日:2018-05-03 更新日:

聖ポール天主堂跡に到着しました。

この繊細な模様や像が立ち並ぶファサードは、1つ1つにたくさんの意味が込められているそうです。

マカオは、アジア内における欧米植民地最後の国でした。

ここもまた、戦争や歴史に翻弄されてきたマカオを語るには、欠かせない場所なのだそうです。




 

16世紀初め、マカオにポルトガル人が初めて上陸し、マカオはアジア各国への布教活動の中心拠点となりました。

ここもそののちに建てられた教会でした。

そもそもは聖母教会として建設され、そして火事で焼け焦げ再建されたのち、再び火災が起こり、最終的にはかろうじてこの壁のみ生き残ったという場所です。

ポルトガルが追放され、様々な国が主導権を握る中で、教会だけではなく様々な活用もされ使用されてきたようですが、そのうちにこの豪華で派手なファサードだけがずっと使い道もないまま、取り残されてきたのです。

 

このファサードの下はくぐれるようになっており、裏側、その先へも誰でも行けるようになっています。

 

これは、ポール天主堂の裏側。

こういう観光場所ってたいてい、高い場所に登れるようになっていますよね。

ご覧の通り、ここもしかりなのですが、記憶の限り登ってみたことは今までない。

ここに到着するまでにすでに66段の階段か、その横の坂道かというどちらかのコースになります。

あっついマカオでこの入り口に到着するまでにすでに結構体力消耗しているのです。

こんな時いつも、バスツアーとかだったら登ってみたかもなぁーなんて考えてます。 ダメパッカー。。。

 

ですが!

それよりも、ここには私の興味をぐんぐん引っ張って離さない場所があるのですよ。

 

ここ。

 

地下納骨堂

 

アメブロから読んでくれている方にはすでによく知れた私の悪趣味ぶりですが、マカオでも通常運転ぶり。

地下へと降りてみましょう!!

 

入ってすぐに、かつての聖ポール天主堂の一部を使ったと見られるオブジェの十字架が立てられた丘があります。

 

そして、すぐ傍らには、ここを建設するのに関わった宣教師の骨が祀られています。

この中には、日本人キリシタンのお骨もあるようです。

当時日本は、幕府によりキリスト教禁止令が布かれた真っ只中でした。

かつて、同じように日本語を話し、日本の景色を脳裏に浮かべる日本人が、ここに眠っているなんてなんだか不思議な感覚です。

その人もきっと同じように、今に悩み、でも明日に期待してこの場所に流れ着いたんだなぁと、なんだかしんみり想いを馳せてしまいます。

現在は、幸せに穏やかに、この場所に眠っているのですね。

 

さらに奥へ進むと、16世紀頃の教会に飾られていた美術品がたくさん展示されています。

手のひらに骸骨を乗せかざすザビエル像が、少し悲しげにも見えます。

なぜか世界の教会を巡る時、そこには憂いの感情が多く展示されているような気もします。

そして骨や風化した姿など、それは教会にはつきものだと、そう感じるのです。

ここでは、故郷へ帰ることができなかったかつての日本人の悲しみも一緒に訴えているようにも見えます。

 

これらの展示品はもちろん再建されたものが多いだろうけど、火事の中を生き残った美術品もあるようです。

 

これは、教会の欠片。

そしてここは墓穴だったようです。

貴重な、聖ポール天主堂跡の時代の移り変わりの写真も展示されています。

今じゃ正面写真を撮れば、凄過ぎる観光客が必ず写りこみますが、昔の写真を見ると置き去りにされていた場所ということがよくわかります。

さて。

マカオの歴史に軽く触れられたところで、次のマカオの顔へ!

 

 

聖ポール天主堂跡地下納骨堂・博物館

この地下納骨堂に付随する博物館は、とても小さく展示品もわずかですが無料で入ることが出来ます。営業時間に気をつけて。

営業時間:9時~18時 火曜は14時まで

 

 

あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
ランキング参加中です。応援のワンクリックをよろしくお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 旅行情報へ
にほんブログ村


放浪記ランキング

 

こちらも更新中↓

アメブロ 新しい旅に出る準備はいつだって出来ている

ゴロー丸ブログ 真面目なサラリーマン旅をする

 

 

<sponsored link>







-旅日記, マカオ

執筆者:


comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

PREV
ヨーロッパ色だけど、やっぱりマカオ!
NEXT
マカオの大砲台が並ぶモンテの砦

関連記事

そこはもうウユニの町でした!

朝方、バスが停まった気配に目を覚ましました。 高山病の薬のせいで、(前回の記事、参照)初めて、長距離バスに苦しみましたが、 必死に飲んだ、解熱剤のおかげで、なんとか体調は回復してました。 毎朝、起きる…

続きを読む

旅、初のダウンまでのカウントダウン

昨日は、また夢の中で大号泣していました。 今、日本がとっても恋しい。 こうやって一人でたくさん考える時間があると、色んなことを考えます。   人間関係のわずらわしさもたくさんあるけど、 普通…

続きを読む

リマの高級住宅地サン・イシドロ区

いつも旅の最後は、ちょっと豪華な宿に。。。   ってことで、ゴロー丸にまかせたら、私の選択範囲を遥かに超えて、 バックパッカーには不釣り合い過ぎるホテルになりました。   私の一人…

続きを読む

ウィーンの犯罪博物館つづき 地下へと

すいません。 今日も、犯罪博物館の続きです。   前記事はこちら。   本当にここの博物館は思ったよりも、展示物がたくさん。 それだけウィーンの歴史や革命、そんな時代に起きた事件なんかも深い…

続きを読む

バラナシのインド人と最後まで喧嘩して、さらばインド

バラナシ初日、宿に向かうリクシャーマンに危ない宿だと大嘘つかれたけれど、 宿はとても快適で、宿の人にはお世話になりました。   バス停に向かう時間まで少し待機させてもらっていたら、 宿のオー…

続きを読む

ロトルアへ出発!!

夜中、どしゃ降りの雨の音で目が覚めました。今日は、雨かもしれないなぁ。私は晴れ女の方なのに。残念。。。朝5時、起こされて寝ぼけ眼のまま朝の支度をしました。あ、雨はどうなったんだろう?やんでるのかな?音は聴こえないけど。窓の外を見ると、どうにか雨は免れた様子。

Sayo

バックパッカー。
一人旅が好きで、定期的に海外へ飛び出しています。
好きな過ごし方は現地の人達と笑うこと。
読者の方が旅気分になってもらえる記事を目指して、日々書き綴っています。
負の世界遺産多め、陸路移動がメインです。

sponsored link