AM10:30 いよいよ、ウユニ塩湖のツアーが始まりました。
車は、真っ白の大地へ!と思いきや、まずは、小さな小屋みたいな場所へ寄って、長靴を借りに行きます。
一応、申し込みの時に、足のサイズは記入したんだけど、各自、好きなものを選ぶように言われます。
ザーッと見てみた感じ、基本、大きめのサイズが多い。
鏡張りの中を歩くには、長靴必須だから、本当は日本で買って持っていこうか迷ってたところでした。
でも、ツアーについてくるらしいという情報を聞いて、買ってきませんでした。
荷物になるし、持ってこなくて良かった。これ、気が利いてると思う。
きっと改良されてきたんだろうな。
で、黄色い長靴!
黄色に黄色で、黄色づくしってことで!( ´艸`)
黄色は、好きな色でもありますが、初長旅の時に、叔母さんがプレゼントしてくれたワンピースも黄色だったし、
ラッキーカラーではないんだけど、私にとって、特別な色。
そして、この後、写真撮影なんかで使う、おもちゃなんかも積み込んで、再びウユニ塩湖へと続く道を走り出しました。
舗装された道を通っていくと、
すぐに窓の外には、白い地面が広がりだしました。
そして舗装された道が終わり、ちょっとガタガタ道へ入ると、車は停まりました。
まずは、ツアー最初の観光場所、
列車の墓場です。
ここも、ウユニ塩湖ツアーへ行くなら、欠かせないスポットなのです。
その名の通り、朽ちた列車が何台も置かれている場所です。
真っ直ぐに延びた線路に、ひとり、オシフィエンチムを思い出しました。
でも、ここでジェノサイドがあったわけでもなく、心静かに傾けるような場所でもないのですが、
だけどある意味、ここもボリビアにとっては負の遺産なのです。
かつて、自分の領土つまり、ボリビアであった現在のチリの北部や海の方まで、
この列車たちは鉱山物や資源を運び、動いていたのです。
でも、やがて資源も枯れ、戦争によって終着駅もチリに奪われると、
当たり前のように、線路も廃線となり、置き去りにされた列車たちは、風化していったのです。
1940年代の頃のことでした。
今は、こうして観光場所のひとつになっているから、
ある意味、復活を遂げた奇跡の場所と言えるのかな。
ここでは基本、みんな列車に登って、記念撮影などをします。
列車のてっぺんって、結構、高くて怖いです。
列車の上に登るなんて経験、なかなかすることもないけど、
若干、高所恐怖症気味な私は、登ったはいいが、降りられるのか?と思ったほどです。
ちなみ、おぼっちゃまゴロー丸は、登りませんでした。
おいでよって言っても、なぜか、「いいよ!写真撮ってるから。」
と、かたくなに、俺はカメラマンだからと表面だけかっこつけて、登りませんでした。
みんな空気を読んでくれて、それ以上は、何も言われませんでした。
まあ、いいよ。地面でね。
両手に花ってことで。
こんなところにまで登っちゃう。
海外で遭遇する、びっくりする欧米人の行動あるあるですね。
ここもそうだし、この後行った場所なんかも全部そうだけど、
朝、昼、晩、どの時間に来ても、ウユニの観光場所は、絵になると思う。
薄暗くなっていく夕焼けなんかを背にしたら、哀愁漂う列車の墓場が見られそうだし。
昼に来ても、清々しいし。
なんか、青春だなぁって思えるような、何度見直しても、胸が締め付けられるような、大好きな一枚。
そしていつも、憧れの場所に来た時は、夢の中を歩いてるみたいに、ふわふわしてるんです。
この場所にいること自体が、夢みたいで。
自分が夢を見てて、創り出してんじゃないかって思うくらい。
でも、ここへの一歩も、自分で選んだ自分の道なんだなぁとつくづく思う。
選んで選んで、間違っていたのかもしれないって落ち込んで、悔やんで、
でもって今、ここに辿り着いてる。
あまり人からは祝福されないことばかりだったけど、私の人生も捨てたもんじゃないな。
旅は人生のご褒美だと思う。そして、旅先の出会いは、旅からのプレゼントなのだ。
そんな気持ちに浸りながらも、もちろんまだまだウユニ塩湖ツアーの見どころは、序章なのです。
こんな風に考えちゃうことも、旅先あるあるですね。
さあ、次の場所へ!!
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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はじめまして、ろっしパパブログから来ました。
列車の墓場…
歴史やお国柄を知って見ると、より感じるものが有りそうです。
朽ちた列車も、また人に見られて、乗られて、孫をあやすおじいちゃんのように見えました。