少し歩くと、サームローのおじちゃんが来るときに教えてくれた
墓地がありました。
連合軍共同墓地。
戦争時代、日本軍の捕虜となり、とてつもなく過酷な鉄橋建設に係わった
イギリス人兵士が眠る場所です。
こういう場所も目をそむけずにきちんと見たいと思います。
戦争のせいでたくさんの犠牲が生まれた。。。
イギリスのお墓は、あまり寂しくない感じだけど、
ここは、特に綺麗に手入れがされています。
きっとイギリス人が来ているんだと思うけど、カンチャナブリーにいる間、
ここを通るたび、何人もの観光客が訪れていました。
ただ、ちょっと悲しいのは、私が日本人だからです。
もちろん日本兵もたくさんの方が亡くなっていると思います。
この場所の背景を知れば、一般的に仕方がないと言われようが、
差がちょっと、悲しかったです。
だけど、私はちゃんと見たいです。
カンチャナブリーは、日本人には肩身が狭いとか、そんな声もあるけど、
そうは思いません。
だって、しっかり見ないと。知らないと。
真実がどうとかいう議論もあるでしょう。
でも、ここで伝えられていることを知りたい。
私は、そんな、世界中の負の遺産を見たいのです。
宿への帰り道。
これは、タイのイケメンなのだろうか。
この写真、良く見ます。
なんだか、タイに来てやっとのんびり。
宿で、友達に写真を送りまくってました。
夜になり、ナイトマーケットへ行ってみることに。
バンコクではずっと、いい子ちゃんだったので、夜に繰り出すのは初。
でも、夜のカンチャナブリーのゲストハウス通り沿いは、
ひたすら欧米人がたくさん楽しんでいる、明るいお店が続いていて、
ちっとも怖い感はありませんでした。
地元の人達も、まだまだごはんを食べたり歩いたりしていました。
駅のすぐそばの公園で毎晩開催されている、カンチャナブリーのナイトマーケットは、
程良い大きさで、食べ物よりも服や雑貨の露店が多かったです。
そして、ここでちょっと胸が締め付けられる出来事がありました。
現地人や欧米人が行き交うマーケット内。
どうやら全盲のおじいさんがスピーカーを首から下げて、
楽器を手に、音楽を奏でながら歩いています。
ふと見ると、その背中には同じく全盲らしきおばあさんが、
おじいさんにぴったりくっついて、音楽に合わせて歌を歌っていました。
明るいタイ。
人が温かいと思うタイ。
だけども、人はみんな、おじいさんとおばあさんが見えないかのように
笑いながら素通りしていきます。
実はバンコクでこんなことがありました。
ある男性が必死でタイ語で話しかけてきたのです。
でも、最初、物乞いだとわからなかった私は、その必死さに
何を言っているのかわかろうとして、でもわかりませんでした。
「Sorry I don’t understand」
と、言ってしまいました。
そして、もう一度、申し訳ない顔で「Sorry」と言うと、
男性はちょっと笑っていいんだとでも言うように、お祈りをするポーズをして、
コップンカーと言いました。
その後ろ姿を見て、ようやくああ、そうかとわかったのですが、
私には、どうしようもなく。
タイに来て、実際に聞いた”コップンカー”
言われるたびに、ちょっと楽しかった。
でも、悲しいコップンカーを聞いてしまった。
私はわからないと答えただけで何もしてないのに、彼は私にお礼を言った。
この日、ナイトマーケットで見たおじいさんとおばあさんは、物乞いとは違うと思います。
でも、日本で平和に居すぎてしまっている私にはどんな風にしたら良いのかわからず、
素直な気持ちでストリートミュージシャンと思えばいいのか、
でも、いちいち気にするのがおかしいのか。。。わかりません。
ちょっと胸が締め付けられました。
明日、もう一回ナイトマーケットに行ったら。。。
やっぱりこれも、気になることは何かあるんだと思います。
もし、明日も出会えたら。。。
夜ごはんは、ナイトマーケットで買った本場のガパオライス。
と、パン屋やドーナツ屋でよく売っている、中がもちもちのドーナツです。
これは思った通りの味。おいしい!
まだまだ、旅には緊張しています。
でも毎日が違う毎日で、出会う全てが素晴らしく感じています。
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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今からたくさんの衝撃的な現状を見るでしょう。
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年末の総理の行動が世界的にみてどうなのかも考えるでしょう。
なんの為に生きてるの?と考えるより。
どのように力強く生きて行くのかを考え彼らは行動しているのです。
コメント失礼します
はじめまして
ひとり旅ブログに このようなコメントをするのは
ちょっと申し訳ない気持ちもするのですが
私の勘違いだったら 申し訳ないのですが
橋とは 映画「戦場にかける橋」のことでしょうか?
調べれば おわかりになると思いますが
・あの映画はフィクションのプロパガンダで ドキュメントではありません
・技術のなかったのはイギリス側で、技術を提供したのは日本です
・捕虜の数以上に現地の人々を雇い入れています
・イギリスが壊す⇒日本が直す のループです
結果的に現地には
・イギリスは植民地として搾取
・日本が技術的にも経済的にも援助
した形となりました
既にご存知でしたらすみません
尊い犠牲者に哀悼の意を捧げることには異論はありません
それでは 一人旅 おきをつけて
道中の安全をお祈り申し上げます