前編より続きます。
続いては医療室です。

負傷した兵士たちを応急処置するための部屋です。
戦いが過酷になっていくにつれ、負傷兵も次々と運ばれ、薬も不足し医療物資も足りなくなり、水までもが十分にはないという状況になっていったことでしょう。
ましてやこんな環境。快適とは言えないうえに、暗くて心にすら光を見失ったことと思います。

この部屋だけでは足りず、廊下にもたくさんの人が横たわっていたそうです。
でも、この場所にいたのは、負傷した人だけではなく、命を必死に救おうとした人もいたのです。
極限状態の中で、それでも諦めずに人を救おうとした人がいた場所です。
何をどうしても、医療室と言うと負傷した側にばかり目が向けられがちで、死のにおいや暗さにとらわれた場所扱いをされがちですが、生きようとした人と、生かそうとした人がいた場所だったということにもっと光を充ててほしいです。
続いては発電室です。

光の届かない地下の世界ではもちろん真っ暗だったわけで、光がなければ暗号も作れず通信機も使えないわけです。
だからこそ、発電室は心臓ともいえる場所ですね。
当時は、発電機を動かして電気を作っていたそうです。
地下での発電作業は、とても大変だったようです。
燃料に加え熱などの排気も必要。その上、振動や騒音も。
小さな場所ではありますが、ここが動かないと壕全体も動けないわけで。そして動かしていた人ももちろんいたわけで。
でも、ここを動かしていた人に対してのエピソードはほとんど残っていないそうです。
それでも、この壕を成り立たせていた大事な役割であったはずですよね。
もちろん、ここだけではなく、それぞれがそれぞれの大事な役割があった。
小さな場所だけど、名前だけで通り過ぎずに、そんなことをしっかり考えたいですね。

発電室のそばには、こんな展示もされています。ここをまずはこんな道具で掘り進め、やがて発電室が作られた。
この小さなつるはしの役割がやがて大きなものへと広がったというその意味を、しっかりと知っておきたいです。
そして、下士官室です。

下司官とは兵士たちをまとめるリーダー的な存在ですが、ここでは兵士だけではなく一般兵も休息していたそうです。
写っているのは、本当に簡易的な二段ベッド。
簡易的ではあるけれど、壕の中の酷い湿気や冷えを少しでも避けるために床から高めに作られているそうです。
昼も夜もわからない壕の中。そのうえ、いつ命令や敵の攻めが来るかもわからず、ゆっくりした休みなんてとれることはなかったことでしょう。

そして、案内板によると、最後の方ではみんな立ったままこの部屋の中で眠りについたり、休息をとったりしたそうです。
もしかしたら不謹慎なことを言っているかもしれないけど、誤解を恐れずに書くなら、私はこの部屋を見たとき、以前見学したアウシュビッツの収容施設を思い出しました。
もちろん施設の目的も歴史的背景もまったく異なります。
でも、限られた空間で多くの人が身を寄せ合い、最後には立ったまま眠らなければならなかったという説明を読んだとき、戦争が人から『当たり前の日常』を奪ってしまうという点では共通するものを感じたのです。
そして、そんなことを考えながら、壕の見学のラストへ来ました。

壕内の案内では「出撃の出口」、公式ホームページでは「突撃の出口」と紹介されています。
どちらにしても名前の通り、全てがわかる場所です。
この壕から外へ出て、最後の戦闘へと向かった場所と言われています。
もう陥落寸前の最後の時間。武器らしい武器もなく、でもそれでも何かを手に取り、ここから戦うために外へと出て行ったそうです。
やっと出られた外の景色の中、彼らが最後に目にしたものはなんだったのだろう。
そんなことを考えます。
4か月ほどで作られたほとんど人力中心で作られたこの海軍司令壕は、部屋は30室以上あり、公開は300mですが実際は450mあるそうです。

個人的に、戦争の爪痕の場所をたくさん見てきて思うことがあります。
こういう場所が残されている意味は、その時この場所で起きた出来事の証人でもあるからでもあると思うのです。
結構、人によってはどうしてもホラースポット的にしたかったり、あまり良くない意味で怖い場所にしたい人もいると思うんです。
もちろん、人によって不思議な体験をしたと感じることは否定しません。私もドイツであったし。
でも、この場所自体を面白半分にしてしまうと、この場所が本来伝えようとしているものが見えなくなってしまうと思うんです。
ここは、
この壕の中で、壁の前で、本気で苦悩して、本気で恐れ、命をかけて誰かを助けようとした人たちがいた場所。
80年前に人が守ろうとし、戦い、生きようとして誰かを生かそうとした光の場所でもあり、偉大な遺産なのです。
そんなことを考えれば、岩の壁はただの岩ではなくなり、暗号室はただの部屋ではなくなり、
医療室が、ただ悲しい場所ではなくなり、
そして、大田実司令官が「自決した司令官」で手りゅう弾の痕を残した人なのではなく、「最後に沖縄の人々への感謝を託した人」として見えてくるんだと思います。
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