旅日記 ポーランド アウシュビッツ/ビルケナウ 負の世界遺産など

ビルケナウ強制収容所ラスト そして生まれた感情

投稿日:2016-10-05 更新日:

中谷さんのガイドは、ラスト、

このユダヤ人達が生活をさせられていたバラックの中へと、続きました。

ここも少し前まで、もっとたくさん入れるようなバラックがあったそうです。

 

でも今現在、立ち入りが認められているのは、数棟のみ。

この辺りは特に、女性や子供が収容されていたところが多かったようです。

 

もちろん、前回にも書いた通り、

女性や子供は、労働に耐えられなさそうなので、

即、ガス室行きが多かったのですが、

残される子供は、人体実験などにされる為に、残されたのだそうです。

 

子供達が収容されていたバラックの中には、

子供が描いた絵が残されています。

闘争本能を利用され、様々な上下関係をつけられた大人たちに比べて、

子供達は、まだ騙し合いや計算もないので、

ただの純粋な心で看守の似顔絵などを上手に書いていた子供もいたそうです。

そういう子は看守たちから、大変喜ばれたそうです。

 

一般のバラックの中は、ただの仕切りとも言えるような、

木の板で作られた、ベッドがひたすら並びます。

 

この格段の狭くて冷たい空間に、5~6人が寝させられていました。

 

冬は氷点下になることもあったそうで、

本当に小さな暖炉が、一応設けられています。

それは、”労働をさせるため”という名目をとっていたので、

世界から非難されないための設備を一応、とっていたとのことらしいです。

この暖炉は、大したぬくもりもなく、

そもそも燃料自体をほぼ与えてもらえなかったそうです。

 

過労、栄養失調、そして凍死や劣悪な衛生環境で生まれた病気のまん延。

救いなんて、どこにもなかった。

 

これは、手洗い場。

ちゃんと組み込まれている”石鹸置き”が、特徴的です。

 

やはりこれも、”労働をさせるため”という名目のもとにされた設計だったので、

実際には、使われてもいなかった石鹸置きの場所が、

わざわざ作られているのです。

このような小さな細工で、世界を欺くためです。

 

かと言って、世界がこの事態に気付いていなかったはずもなく、

当時、敵国だった国はまだしも、

日本は噂程度で、この収容所で行われていることを知っていました。

 

手を下していなくても、日本は傍観者という立場の、

決して被害者側ではありませんでした。

杉原千畝さんを中傷し、ナチス政権にNOを突き付けることに、積極的ではなかった。

 

所長だったヘスの言葉のそれと、当時の日本を並べてしまいます。

 

でも、それでもやっぱり、私たちは、今に生きています。

中谷さんは、言います。

 

「戦争の責任は、私たちにはない。だけど、今と未来の責任はある。誰もが何かできるはず」

 

自分の国を、それだけでなく、他の国を、

平和で居続ける国にするには。

 

自分は、そんな問題の前にはちっぽけでしかないけれど、

それでもできることが必ずあるはず。

 

笑われるかもしれないけど、こうして全く遠い国で、

かつて日本が争った人達や、今も問題が少なからずある国の人達とすれ違うこと。

 

このヨーロッパ旅でも、挨拶を交わしたり、

わからないことに外国人同士で助け合ったり、

そんなことが、幾度とあった。

 

そんな事すら、きっと意味があるんだと思います。

 

今も争いは、残念ながら続いているけれど、

オリンピックには、難民代表ができた。

 

そして今の世界最高長寿者の一人は、

かつて、2、3カ月しか生きられないと言われていた、

この過酷なアウシュビッツの生還者です。

 

希望は、ちゃんと昔よりは進んでいて。

だけど、複雑化した問題ももちろんある。

 

こんな残酷なことをされた、ユダヤ人。

 

3000年も国を持てず、どこへ行っても追い出されていたユダヤ人がやっと持てた自国がある。

でも、そんなユダヤ人が今している、

イスラエル、パレスチナ問題はどうなんだろう。

 

加害者ドイツが行った謝罪、そして今も取り組んでいる活動。

少しだけど、私が見て来たドイツには、また行きたいと思うような人達との出会いがあった。

 

再びバスに乗って、クラクフへと戻ります。

 

不思議と、私の中に重い気持ちはありませんでした。

 

なんだか、自分の中で、どうしてこんなに負の世界遺産に惹かれていたのか、

その答が出せた気がしました。

車窓の景色を見ながら、良く晴れた空を見ながら、

私はまたひとつ、世界を知ることができて、未来へと向かっているんだなとすら思えました。 

それはたぶん、中谷さんのガイドが静かながら、

情熱にあふれた素晴らしいものだったからということもあります。

 

悲劇だけを伝えるのではなく、

過去を知って未来へどうつなげるかの大切さ。

自分にも、問いかけられている問題。

世界中が平和になる日まで。

 

ずっとずっと、ほんっとうにずーっと来てみたかったアウシュビッツにやっと来られて、教えられたのは、

悲しみの場所を、悲しむだけではなくて、

そんな場所に渡されたものが少なからずあって、

それらをしっかりと、見失わず、自分にできる小さなことでも続けていこうということ。

絶望が残した希望があるんだっていうこと。

ヨーロッパ旅終盤に、アウシュビッツに来ることができて本当に良かった。

 

友達にメールをしました。

「これで、ヨーロッパ旅に思い残すことは、何もない!」

 

あ、でもまだひとつ叶えておきたいことあったな!

 

 

 

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執筆者:


  1. ☆まりりん より:

    ヨーロッパ旅中のLINEを見返して見たら、「ヨーロッパ旅に思い残すことはない!」の後の出来事(お腹のこと)に笑ってしまったよ( ̄ー ̄)

  2. なおちん より:

    初めまして

    私は大学生の時にダッハウに行こうとして、結局、行くことができませんでした。
    今回の一連の記事、ありがとうございました!
    気をつけて旅を楽しんでください(*^_^*)

  3. かみぞー より:

    ☆ う~む ☆

    アウシュビッツのブログ…熟読を致しました。
    誰かがこのような歴史を語りつながなければならない、
    誰かが写真として、文章として、SNSや
    様々な媒体で遺していかなければならない。
    そのように感じます。
    そして、サヨ様がその一端をなさった訳でして…

    考えさせられますよねぇ~
    当時、日独伊三国軍事同盟を結んでいた訳ですしね。
    ベトナム戦争においては日本の基地から
    米軍がベトナムに向かった訳ですしね。
    間接的にも日本が関わっている…
    なので、日本人こそ、積極的に平和を訴えるても
    良いのではないかと…

  4. shadow)^o^( より:

    今回の旅のブログを 読み終えて…今までも何度となく(教科書だったり、特別番組だったりで)聞いたこの事実を。。その度につらくて、避けるように敢えて…感情を抑えるように……今も、悲しい気持ちになります、写真は直視出来ず…子供達の描いた絵も。。でも、その場に立ち、本当に触れたら自分の気持ちは、どうなるのか?! そんな風にも考えます……上手く言えないけれど 又ひとつ、心が満ちました。そんな時間をありがとう。。。コメントいつも長くてゴメンナサイ

  5. バンバン より:

    イスラエル

    書かれましたように
    今のイスラエルがパレスチナで
    行っている行為は悲しい

    まる昔のドイツのような

  6. みるく より:

    お疲れ様です。

    重い内容で、文章にするには大変なところを、詳しく丁寧なリポートありがとうございました。
    歴史や映画等で知っているつもりでも、目の当たりにすると、眼に映るものや空気など総てのものが現実的に思え、感じるものがまた違うのでしょうね。
    世界遺産も色々とありますが、このような負の遺産も後世に遺していかなければならないですね。

  7. MARIEBELL より:

    しっかり読ませていただきました。ありがとう。
    大学生の息子にも、読んでもらいました。

  8. まーぼー より:

    中谷さんの言葉、
    「戦争の責任は、私たちにはない。だけど、今と未来の責任はある。誰もが何かできるはず」
    は、心に残りました。

    同じような事をおっしゃっていた方がいました。
    クジラ博士として有名な奈須敬二さんの言葉。

    『この地球環境は、我々の祖先から譲り受けたものではなく 我々の子孫から借りているものである。』

    我々の責任は思っているよりも重いようです。

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