ヨーロッパのドミトリーは、基本的に個人ロッカーがあって、鍵はついていたり、ついていなかったり。
で、この宿は、鍵は自分の鍵を使う式。
でも、持ってきた鍵のサイズが合わず苦労してたら、
同室の男の子が心配してくれました。
とりあえず、簡単に挨拶をして、
「またあとでね!!」
さっさと観光に出かけます。
また雷雨になるかもしれないし、止んでるうちに出かけなくては。
無事、ベルリンのMAPも路線図ももらえたことですし!!
Sバーンに乗り換えて、やっとついたOstbahnhof駅。
イーストサイドギャラリーを観に行きます
でも、
観光地でもなんでもない場所。
なーんにもないし、人も溢れていない。
ベルリンの壁って、どこにあるの??(・Θ・;)
ベルリンの壁とは、よく知られている通り、かつて西ドイツを覆っていた壁。
1989年に破壊され、やがて西ドイツと東ドイツが再び統一されるまで、
名前の通り、155キロもに渡る大きな壁として街を取り囲んでいました。
でも、自由で暮らしやすかったのは、壁に覆われた方の西側。
ソ連に占領された東側の人達は、資本主義の西へと憧れ、乗り越える人も後を絶たなかったそうです。
今では、21ヵ国のアーティストが絵を描き、アートギャラリーとなっています。
壁だから、そんなにおおっ!って物ではないけれど、
でもこの壁、いざ目の前に立ってみると、凄く高い。
これを一晩で造り上げたなんて、どんなだよ。。。
ここを乗り越えるのも、なかなか大変だったんじゃないかな。
もちろん、背の高いヨーロッパ人がこの壁を越えることは、そこまでではなかったのだろうけど、
当時は、鉄線、監視員などもあり、容易ではなかったようです。
このヨーロッパ旅で、いくつかの国をずっとバスで越えて来たけど、
陸地のイミグレもないので、国境がどこなのかもわからず、
街の雰囲気とか、看板とかでなんとなく違う国に入ったのを知るという感じなので、
こうしてこの壁があると、これこそ国境みたいに感じる高さです。
歴史の残した大きな意味のある物なんだな。
なんだけど。
こう言っちゃなんだけど、落書きとかのせいで、なんていうか普通の壁というか、
えげつない言葉なんかも書いてあるんだろうな。。。。( ̄_ ̄ i)
ちゃんと守られているのは、有名アーティストの作品なんですかね。
当時は、東西に壁が無理矢理引き離したカップルもいたんだろうなぁ。
と言っても、これは日本人アーティストが描いたものではなく、
ドイツ人画家のトーマス・クリンゲンシュタイン氏の作品。
”日本地区への迂回路”と翻訳されて描かれたこの絵も、
実は結構な皮肉的意味合いと言うか、タイトルを考えれば深いのです。
しかし、壁も大きいし、その距離も長い!!
ちょっと休憩。
ここも、ドイツで言うとどんな感じの場所なんでしょう。
若手アーティストなんかの登竜門なんだろうか。
私の馴染みのあるのは、横浜アリーナだけど。どーでもいいですね。
これは、かつての西ドイツ側。
かつて、壁によって覆われていた町。
で、
イーストサイドギャラリーと言えば、とっても有名な壁画があります。
到着しました!!
ブレジネフ書記長(旧ソ連)とホーネッカー評議会議長(旧東ドイツ)のキス画
これぞ、とんでもない風刺画ですね。
今や、これをグッズとしてまで売り出しちゃうドイツ。
で、この2人のキスは、本当に行われていたそうです。
と言っても、変な意味ではなく挨拶的意味合いでキスをすることが、
当時は風習としてあったそうで、と同時に二人の癒着の痛烈批判も込められています。
とにかく、たくさんの絵で、今はカラフルに覆われているベルリンの壁があります。
やっぱり、自分のよく知っている歴史の大きな渦があった場所に、
自分が立っているのは不思議でたまらない。
だけど何より、
それはもう過去となっていて、外国人である私がここに居られることがかけがえのないことですね。
彼は、実は東ドイツ生まれなのです。
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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ベルリンの壁
ベルリンの壁に絵が描かれてて、観光地になっているのですか。
実際に行かないと、想像がつかないですね。
ベルリンの壁が崩壊したのは、強烈な思い出です。
東ヨーロッパ各国で政権がかわり、その後のソ連のクーデターに繋がり、中国では天安門事件がおこり、日本も元号が平成になって、参院選で、自民党が初めて単独過半数とれなかったりと時代が変わってあるのを感じた出来事です。
私の知人がちょうど当時の西ドイツのボンに転勤していて、ベルリンの壁を見てきた話をきいたのが、ほんの数年前のような気がします。あれから28年ほどたっているのですね。
また、ベルリンの様子を知らせてください。
こんにちは
壁のあったころの東ベルリン
40年前は1マルクで
日帰りで西ベルリンから電車で往復できました
そのころの壁には
大きな対戦車砲が西側に向けて置かれていました
自由な西側
と
自由のない東側
ソ連兵は街角で銃を持って立ち
東ベルリンの労働者達は銃を持った
ソ連兵が前と後ろに一人づついて一列になって移動
西側を壁に沿って歩きましたが高い壁がずっと続き
対戦車砲が途中にあった
ソビエト連邦が大きくなる過程と
また、それぞれの国に戻ってゆく過程は
ニュースで見ていましたが
東ベルリンに行った時から40年も過ぎ
今、この形になっているんだなと(^▽^)/
ベルリンの壁
壊されて27年くらいになりますか
なんか、もうそんなになったのかと
沢山の群衆が群がり壁を破壊
壁の上からハンマーでたたき壊すシーンが…
もう一つの過去の歴史になってしまいましたね