また、別のバロックでは、別の展示がされていました。
収容所であるからには、役割などもありました。
ここは、この収容所の中でもまた有名な”死の壁”がある周辺。
つまり、特に死に近いエリアと言われていたところです。
中には、裁判室、つまりは死刑を判決する部屋などがあります。
と言っても、判決とは名ばかりの、
寝る以外には何もできないような広さの3段ベッドには、
各段2人ずつ、寝させられていたそうです。
そして、ここの任務に就くのは、ナチス軍だけではなく、
前回書いたような競い合いで、
収容者の中から選ばれた人なども就いていたそうです。
事務室。
死刑勧告を受けた収容者は、色んな理由づけがあったにせよ、
例えば、脱走を試みた者がいて。
その一人の行動を非難するため、新たな脱走者を防ぐために、
真面目に働いている収容者の中から、適当に数十人が選ばれ、
時には倒れるまできつい運動をさせたり、また拷問をし、
目の前で殺害されたりしたそうです。
そして、ここには地下牢もあり、
それはそれは残虐なことが行われていました。
中でも餓死刑。
人、4人程度がやっと立てるような狭いスペースに、
飲み物食べ物も全く与えられず、
座ることも許されず、数日閉じ込められるという陰惨な刑です。
その部屋も、今は見学できるようになっています。
降りてみると、その地下牢の1室には、
小さなろうそくが灯された部屋がありました。
この救いのない悲しみの場所で、
英雄と称えられた小さな希望のような人がいたのです。
コルベ神父
この方は自ら、無意味に死刑判決を受けた人の身代わりとなって、
この地下牢に入りました。
地下牢に入れられてもなお、
一緒に刑を下された人達を勇気づけようと、
讃美歌を歌ったり、祈りを捧げたりし続けたそうです。
そして、この地獄を生き抜いたのにも関わらず、
最終的には注射を打たれ、命を止められたそうです。
その時、47歳だったそうです。
コルベ神父は、ここに収容される前、日本の長崎にも居て、
宣教活動をされていたとのことで、
かつて日本が行った、ポーランド孤児を救うための活動に大変感動をし、
日本人に救いを返したい、日本のために祈りたい、との気持ちから、
聖母マリアを拡げる活動をしていたそうです。
それはもちろん、日本のシンドラー、杉原千畝さんとも、
深い関わりがあったのですね。
ポーランドで始まり、日本で終わったと言われる第二次世界大戦。
なんだか、そんな関わりも思い出してしまいました。
そんなコルベ神父の偉大な行動を称え、地下の部屋には
ろうそくがずっと灯されているそうです。
外には、監視塔とその前に張り巡らされた有刺鉄線。
そして、見てわかるように、”止まれ”の文字とドクロマーク。
こんな張り巡らされた中を抜けるなんて、
それだけでも難しそうなのに、
400Vの電流が流れていたなんて。
結局これも、先進国が造ったもの=完成度が高いものであることがわかります。
そして、またもいたるところに建てられている監視塔。
これらですら、収容された人達が造ったなんて、悲しすぎるよ。。。
ここで、殺された人達は、特に罪も重いとされていたそう。
でも、罪が重い=ナチスに逆らった人ということで、
ユダヤ人にとっては、英雄なのだそうです。
なので、この収容所に訪れるユダヤ人もここにだけは、
特別な感情があるそうで、
ユダヤの風習で、亡くなった人を称えるために、
あの多くのユダヤ人を守ったオスカー・シンドラーのお墓にも同じように石が積まれているそうです。
ここには、ユダヤ人はもちろん、
たくさんのドイツ人も訪れるそうです。
それは、凄く大きな意味を持つこと。
それぞれがすれ違う時、ユダヤ人がドイツ人に対して言うそうです。
「よく来てくれた。来てくれて、ありがとう。」
それは、この絶望の場所に齎した希望なんじゃないかと思います。
過去は、変えられない。
でも、今と未来は変えられるし、守れる。
平和を守ることってきっとそういうこと。
日本にもその周りのたくさんの国にも、
戦争が残した問題が今もなおあって、
だけど今は、もう”今”なのであって。
もちろん、一介の旅人がただ思ったたわごとかもしれないけれど、
私が留学した時に、一番私を助け親切にしてくれたのが韓国人のクラスメイト達だったように、
自分ができることや感じられて行動できることは、
たくさんあるんじゃないかと。
小さいことだけど。
また、日本に帰ったら、たくさんの国はもちろん、
そんな国の生徒にも、私は変わらず、手を差し伸べて行きたい。
そんな事を感じて、
この悲しみの場所が、改めて教えてくれたようにも感じました。
まだまだ、収容所についての記事は続きます。
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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読んでるだけで涙が出そうだよ。
悲しすぎて目を背けたくなってしまう。
もう過去は変えられないし、国単位で見るとまだまだ日本もしがらみのある国もたくさんあるけど、自分に関わる人には、対 人 で接しなくちゃね。
杉原千畝さんのあの人道的な行動は、あの時代としてはとても勇気の言ったことだったと思います。
民族によって特徴的傾向はある程度はあるかと思いますが、民族とか国と言った枠で個人を捉えるのことには無理がありますね。
コルベ神父
涙が出ます。
今は言葉が浮かびません。
レポートが終わったら、是非リブログさせてください!
つらい話ですね
戦争の話はたいへんつらいですね。
しかし、2度と繰り返さないためにも、目を背けてはいけません。
しっかりと続きも読んでいきたいです。