ここアウシュビッツで行われていた数々の非道な事の中でも、
よく知られているのは、ガス室でたくさんのユダヤ人を殺害していたということです。
まずは、この収容所に集められて人々が最初にされたことは、
顔を見られて、生か死か、右か左へと分けられる、
”命の選別”をされるということです。
老人や障がい者は、まず働けそうにないから即ガス室への方へ。
子供も価値がないから、ガス室へ。
その選別を行っていたのは、本来命を助けるはずの仕事をしているドクター。
収容されず、殺害された人がほとんどだそうです。
75%の人が、ガス室送りにされたそうです。
そして、分けられて生の道へ進んだ人達も、男性女性分けられて、
子供を増やせないようにしたそうです。
中谷さんのガイドは、ガス室の中へと続きます。
よく晴れている青空でも、さすがにここに入る瞬間は、
みんな、シャワーで消毒をすると騙されて、
裸にされ、ガス室へと入れられたそうです。
一日、300人~1000人。
いくつかあったガス室を総合すると、多い時で一日6000人以上もの人が殺害されたと言われています。
ナチス軍は、まるで工業や商業の計画を立てるかのように、
一日何人殺害できるか、その遺体の始末をどれくらい効率よくできるか、
そのことにこだわっていたそうです。
このガスでの殺害は、殺害する側のナチス軍の精神状態の負担を配慮でき、
そのうえ、低コストで効率良く、人を殺害できるとの理由で、
使われたそうです。
人の心の負担を考えられるのに、
収容者のことは、人として見ていなかったんですね。
いつか読んだ、生還者の方の話で、ちょっとでも気を使ってくれたり、
こっそり優しくしてくれた看守はいたのか?という質問に、
そんな看守には出会ったことがないと答えていた、その意味を思い出しました。
ここにたくさんの人が詰め込まれると、
小さな穴からチクロンBが投げ込まれました。
人々はとにかくぎゅうぎゅうに詰め込まれ、
手を挙げた状態で入ることを指示され、
遺体はいつも、苦しそうに折り重なり、
その投げ込まれる為の小さな穴の近くに、殺到していたそうです。
そして、ここに横たわった遺体を処理するのはもちろん、収容者の仕事。
そこでも効率性にこだわり、遺体を人間として扱うようなそぶりを見せると、
その人も、また罰を与えられたそうです。
ここで収容者を焼き、灰にし、野原などに撒いたのです。
ここは、24時間稼働させていました。
つまり、24時間、ここでたくさんの人が殺害され続けたのです。
外に出ると、やっぱりまぶしい青。
でも、張り巡らされた鉄線は、
どこの場所でも目の前を閉ざしています。
でも、ここでは収容者のほかに、このアウシュビッツの所長、ルドルフ・ヘスも公開処刑とされています。
(ナチスの副総統の方ではなく)
彼は、こんな悪虐な場所のすぐそば、しかもこの絞首刑の場所から見えるようなすぐそばに、
家族を住まわせていました。
家族のことは、とても大事にしていたとされるヘス。
子供たちの明るい声は、よく綺麗にされた庭に響いていたそうです。
そして、子供たちが、看守と囚人ごっこをして遊んだ時には、物凄い剣幕で叱ったそう。
死の間際、「自分は、ナチスの歯車のひとつだったということに過ぎない」と語ったヘス。
当時、ヒトラーに逆らうことなんて考えられなかったことでしょう。
だけど、シンドラーという人物が居て、日本にも杉原千畝さんという人がいる。
そして、杉原さんひとりではなく、絶対に一緒に動いていた人もいたはずで。
そもそもの人間の心っていうものは、必ずあって。
彼は加害者であっても、決して被害者ではない。
だけども、きっと尋常ではない勇気を持って動いていた人達の真似を、彼ができなかったことの何もかもを、
きっと誰も責めることもできないのだと思う。
アウシュビッツ強制収容所を出て、続いて少し離れた場所にある
このアウシュビッツとビルケナウを行き来するバスは、無料で運行しています。
すみません!
アウシュビッツでのカメラの調子、絶好調に悪かったです。
写真が見ずらいものが多く、本当にすみませんです。
ビルケナウへと続きます。
あなたにも行きたい場所へと飛ぶ風が吹きますように。
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